自宅に戻ると言うことは、透析は中止、癌の痛み止めだけ投与。強い痛み止め薬、麻薬だから取り扱い注意とも言われた薬、それをゼリーと飲ませ、他にも体内にチューブで送り込み坐薬もしました。乳癌だったので進行を緩和させ臭いが拡がらない高価な塗り薬(1回分¥10000)を大きなパットに塗って貼り直しを1日2回以上しました。
在宅看護とケアマネと在宅医療の連携がとても良く、退院と同時に介護調査が来て介護レベルを最大まで上げてもらいました。
母は最後まで食欲はありましたが、総入れ歯ですっかり痩せてしまったため歯肉と入れ歯が合わず、私たち素人では装着がうまくできず口の中いっぱいに接着剤のペーストが広がり、看護師でない私たちには、全く拭うことができずに、ついに彼女は食欲を失いました。
その辺りから、もう生きることに完全に疲れてしまったようです。退院し自宅療養になって3日目の昼。午後は看護師が来て洗髪と体拭き、爪も切ってもらいました。もちろんオムツ替えもやりました。
それでも小康状態だったので、夕方、私が自分の家に帰ると告げると母は察して嫌がりました。どうしても私は帰宅せねばならず、念のため彼女のベッドの脇で他の兄弟と共に非常の場合について看護師に確認していた時でした。
「例えば酸素が足りてないと危険ですので、様子が変だと思ったら指先にこれを挟んで下さい、あれ?数字が上がらない、おかしい、これは…!」
看護師が傍にいて家族全員がいる時に彼女はチャンスとみたのか、スッと旅立ちました。
看護師がいたのが幸いで死後の処理はとてもスムーズでした。しばらくの間は私たちは亡くなった母の手を握り暖かさを失い固まって行くのを感じることができました。兄弟の1人は冷たくなって動かない母の肩をいつまでも叩き「お母さん、お母さん」と呼び続けとても痛々しかったのを覚えています。もう動かないよと言っても、いいんだ、なんで呼んではいけないと言い放ち彼は母を呼び続けました。
看護師は首の位置を固定するための器具を病院に取りに行き装着してくれました。私は電話で訪問医療の医師を呼び、すぐに死亡確認の書類を作ってもらい、今後非常に大切なのでよく確認すると、医師による印もれがあったので電話をかけてその日のうちに差し戻し作り直し。葬儀屋に連絡し、親戚に知らせ、ケアマネに連絡し、生命保険会社に知らせました。
夜、葬儀屋が母の体を整える時も首の位置は看護師のおかげで安定していました。枕元にお線香を置き氷りを配置し彼女の手を組み、家族で夜を共にしました。
森番ロッチャンguardaboschiRO
初めて飼ったトイプードルの記録🐶、ワインとアテとイタリア、遺品整理の振り返り、自作の絵、ゆるめです、
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